勝松神社
<わが町の氏神様>



  兵庫県姫路市保城字垣内58 

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  歴  史

 初めは、その当時、播磨・備前・美作の守護職であった赤松政則(1455〜98)が建立した勝松寺という禅寺であった。

その鎮守として勝松神社を祭ったもので昔は弁財天が祭神であった。

霊験あらたかで村人がよく尊信した。
(この地域は市川の各支流が一旦集まってから、本流と船場川へ分岐する中州にあり、水害の多い所であった為、水神の弁財天が祀られたと伝えられている。)

 しかし天正年間に別所の兵火で勝松寺も焼失したが、弁財天だけは火災をまぬがれた。

それから勝松神社と称してその弁財天を奉祀し、東中島村、横手村(明治になって両村は保城村となる)、西中島村の氏神となる

。その後、広峯神社より勘請した金山彦命が主祭神になっている。
これは、この付近に鋳造業が多く居たと伝えられており、その頃に変わったものと推察される。(昭和初期でも甲保城に4軒、乙保城に1軒程度の鍛冶屋があったようだ。)


 また、保城公園の西を流れる桑原溝は通称車溝と呼ばれ、大きな水車が掛かっていて製粉が盛んになされていて「そうめんや」とよばれた旧家もある。

そのためか素麺の製造工程を描いた絵馬が奉納され残されている。

これは非常に珍しいものとされ、幾度となく研究者が訪れて、専門書や雑誌にも紹介されている由緒深い神社である


   

手洗石には宝暦14(1764)年の年号と横手村の名があります。又、絵馬は文化3(1806)年の唐人図を始め多く保存されています。 
   

赤松政則(1455〜98) 姫路城の城主
応仁の乱(1467〜77)おこる。赤松氏を再興した政則(満祐の弟の孫)は、播磨の旧領を回復し、姫山の城を改修する。


 

  現在の様子

姫路城の北東、保城にひっそり立つ社。勝松神社。

老朽化が目立ちだいぶ荒れていますが、昔から、そして今も霊験あらたかな神社です。


 

  祀神 金山彦命

金山彦神(かなやまひこのかみ)は、日本神話に登場する神である。

『古事記』では金山毘古神、『日本書紀』では金山彦神と表記する。金山毘売神(かなやまびめのかみ、金山姫神)とともに鉱山の神として信仰されている。

 

  祀神 弁財天

七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天(弁才天とも書く)は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されている。

 

  祭礼行事

・ 6月  湯立て神事
・10月  勝松神社祭礼

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